第78回(1994年6月分)「論語との出逢い」
2013.04.30
今月は私が趣味というか教養というか、月1回お隣の日高産業さんで開かれている論語の勉強会(以文会)に参加しているのですが、そのことから感じたことを一言。
そもそも私が論語を含めて漢文に係わりをもったのは、小学6年生の夏休みの時でした。毎朝近所の小さな塾で勉強(?)して昼食後、多分昼寝する前かした後に、私の祖父(市三郎)によって漢文を素読、暗記させられました。「孝経」という古めかしい本を暗記するのですが、本の横にふりがなをつけようとしても、それは許してもらえません。とにかく棒暗記しました。意味は祖父の解説を聞くだけです。短い時間でしたが、正座して聞いたとおりに読むということだけでも大変苦痛でした。しかし、中学校で漢文をやるようになると、祖父に聞けばたいてい解り、まともに漢文を読めるのはクラスの中で私だけでした。そういう素地があったのか大学生の頃、論語を読破しようと岩波文庫の論語(150円)を買い、8割がた読んだところで中断してしまいました。
それが思いがけなく以文会に参加するようになり、やっと念願の論語の読破が実現しそうな状況です。小学6年から漢文と係わり、今の年齢になるまで、漢文に興味・関心があることは、イヤイヤながらもそのきっかけを作ってくれた祖父に感謝しなければならないことだと思います。
今の時代は、家庭では親は子に、会社では上司(先輩)が部下(後輩)にあまりいろいろうるさいくらいに指導・叱正することは良くないことと敬遠(遠慮?)されています。しかし、本当に部下や後輩のことを思って教える上司(先輩)、苦言を言ってくれる上司(先輩)に出会えた人は幸せです。どうでもいい、その時だけのおつきあいでは何とも寂しい気がします。
相田みつをの言葉に「その時の出逢いが人生を根底から変えることがある。よき出逢いを」というのがあります。どうか当社で社員相互の努力によって、よき出逢いを導き出して下さい。