第90回(1995年6月分)「過熱しすぎの報道」

2013.05.20

今年に入って、
1.阪神大震災
2.オウム真理教
3.全日空機ハイジャック事件
と「深夜まで」あるいは「早朝から」テレビを見てしまうというか見せられてしまう緊急報道番組が3回もありました。それらを見て気づいたことが3つあります。

まず第一に、テレビで時々刻々事態の変化を何千万人という人達が見ていて、そして同時に見られている側もそのテレビの報道の仕方を見ていることです。映される側と映す側がお互いに影響しあって、事態が進展していく。その為に。事態が悪化しないように一部報道規制や自粛があったようですが…。

二番目は、事件に対するコメントをその道の専門家がテレビに出演して発表する。その専門家は、不確定な情報や限定された少ない情報を基に、自分なりにいろいろ条件をつけて推測を述べて、あれこれかき回す(?)。それが各テレビ局種々様々で、見る側はどれが当たっているか興味津々です。

三番目は、事件の当事者(被疑者)について徹底的に報道され、その人のプライバシーが丸裸にされてしまう。松本サリン事件でも河野という人が疑われてとてもヒドイ目に遭いました。最近、マスコミの一部が正式に謝罪しています。

共通していえることは、テレビの視聴者が、大事件発生の度にテレビに釘付けになり、その結果テレビの視聴率が上がる。視聴率が上がるから各テレビ局も一層力を入れてネタは同じでも手を替え品を替えて何回も報道する。

そして、考えさせられることは、事件がタイムラグ(時間のズレ)なしに報道される価値とは何か?その価値を得るために国民全体でどんな代償を払っているのでしょうか?私は何か変だなぁ、いきすぎているなぁと感じるのです。

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